AIが変えたのは生産性ではなく、仕事の楽しさかもしれない
自分の手で形にすること、苦闘を通じて学ぶことが効率化の名の下に消えていくとき、残るのは別の仕事かもしれません。
AI のおかげで、自分のアイデアを動く形にできるようになりました。Figma Make や Claude Code を使えば、以前なら「エンジニアに頼まないと確認できない」と思っていたことを、自分の手元で試せます。実物に近いプロトタイプをその場で作り、触って、直す。素材に直接触れている手触りがあり、自分にできることが広がっていく感覚があります。
ただ、同時に妙な忙しさも感じています。AIにタスクを渡して、出力を確認して、次のタスクを振る。その繰り返しの中で、「作っている」というより「捌いている」に近い時間が増えている。生産性は上がっています。しかし、それが楽しいかと聞かれると、正直よく分かりません。
以前、AI疲れについて書きましたが、そのときは「不安を煽るコンテンツに振り回されないこと」「70%ルールで自分の手を動かす余地を残すこと」を提案しました。不安を感じている方への提案でしたが、今は疲れや不安とは少し違うものを感じ始めています。「これってデザイナーにとって本当に楽しいのか?」という感覚です。

エンジニアが感じ始めた「楽しくない」
ある開発者は、過去四半期の振り返りで「過去最高にコードを生成したが、同時に過去最高に疲弊した時期だった」と評価しています。流れの早い AI に「ついていけない」のではなく「もうやりたくない」と表現しているのが興味深い点です。つまり、情報収集やAI活用のスキルは高い一方で、エンジニアとしての楽しさを失いつつあるように見えます。
AIを使う開発者はプルリクエストのマージ数を劇的に伸ばしている一方で、時間外のコミットも増えています。 「トークンを使い続けないともったいない」という強迫観念を抱く方も増えてきています。生産性は上がっているかもしれません。しかし、上がった先にあるものが「もっと多くのレビュー」と「もっと密な管理」だとしたら、それはエンジニアがこの仕事を選んだ理由とは別のものだと思います。デザイナーと同様、多くのエンジニアも「自分の手で良いものを作りたい」のはずです。
Annie Vella の記事「The Software Engineering Identity Crisis」ではこの変化を、自分が渋々マネジメントに転向した経験と重ねています。好きだったことをやめて、 AIの出力を管理するという別の仕事に就いたような感覚を綴っています。これはデザイナーにとっても他人事ではないと思います。「自分で手を動かす」から「AIの出力を判断する」への変化を感じ始めている人も少なくありません。
AIを使ってアイデアを形にできるようになったこと自体は、多くのデザイナーにとって貴重な体験です。自分の頭の中にあるものが動く形になる瞬間には、純粋な発見の喜びがあります。私自身もそうした経験がありますし、最近はデザイナーが自らアプリをリリースするケースも増えています。
ただ、新しい道具を手にしたときの新鮮さと、その道具で毎日仕事をする感覚は違います。エンジニアが辿っている「できることが増える → もっと速く作る → もっと多く作る → 忙しいのに作っている感じがしない」という感覚は、デザイナーも遅かれ早かれ味わうものだと思います。
使いこなした上で離れる人たち
デザイナーの間では「テイストと判断力はAIには真似できない」という主張があります。AIが実行を担い、人間が判断を担う。デザイナーの関与が不可欠だと説く一方で、もしデザイナーの役割が「判断することだけ」になったらどうなるでしょうか。 デザイナーにとって判断が重要であっても、仕事を楽しいと感じるのは「作ること」です。
難しい問題に長時間向き合い、あれこれ試行錯誤し続けること。自分のアイデアを形にしていくうちに、少しずつ答えの輪郭が見えてくるその瞬間。時間をかけてようやく答えらしいものが形作られる過程はツライことも多いですが、同時に楽しいと感じられるからこそ、デザイナーを続ける人は多いのだと思います。そして、その過程こそが、テイストや判断力を養う唯一の方法です。
私が最近気になるのは、デザイナーやエンジニアが AI を使いこなせないから離れることではありません。使いこなした上で、この仕事が面白くなくなったから離れることが増えるのでは?という点です。能力の問題でも、品質へのこだわりの問題でもない。プロセスを踏まずにアウトプットだけが生まれ、見た目はそれなりに良くても充実感が得られない状態を、単に時代や定義の変化で片付けるわけにはいかないと思います。
仕事に惹かれた理由そのもの「自分の手で形にすること、苦闘を通じて学ぶこと、完成したときの手応え」が、効率化の名の下に最適化されて消えていく。残るのは管理、選別、確認となったとき、そこに自分なりの『デザイン』を見出せるのであれば続けられると思います。楽しさは千差万別なので、この変化に楽しさを見出せる人はたくさんいますが、それは今までのものとは別のものかもしれません。

