読まなくなった私たちと「読む」の今後
今、書籍を読む人たちはどれくらいいるのでしょうか。学生の頃はたくさん読んでいましたが、今は減ってきています。そもそも書籍を読むということが時にストレスがたまることも少なくありません。はやく要点に辿り着いて欲しいと感じる事もあれば、検索が出来ないのでとても不便と感じることもあります。
お菓子コンテンツが愛される
少ないメッセージやちょっとしたリンクであれば Twitter で十分役割が果たせるので、このサイトでは情報を盛り込んだ読み応えのある文章にするよう心がけています。Web には他にもたくさんの長文と呼ばれる記事はありますが、本のボリュームで考えると数ページの話です。それですら私たちは「あとで読む」とタグ付けをしてブックマークの奥底に放置します。むしろ、長文は読者受けされにくく、ザッピングに最適化されたリストや Tips が多いのが現状です。
このサイトでも長文かリスト形式の Tips にするかでアクセス数が大幅に異なることがあります。
Webだけが、こうした一口サイズのお菓子コンテンツになっているわけではありません。書店へ行っても Web コンテンツを書籍化しただけような Tips 集や、ネタのような新書サイズの本も見かけます。
「Now」な文化の代償
答えを導くためのプロセスを楽しむということが出来なくなってきているかもしれません。
特に Web に見られる傾向ですが、私たちは欲しい情報を今すぐに手に入れたがる傾向にあります。Google でキーワードを書けば1秒以内に情報が手元に届くわけです。検索結果を辿って情報を探すにしても、数秒ページを見渡して見つからなければすぐに次へ行きます。Flash サイトもスキップをクリックする前に Flash であるがゆえに去る方がいますが、それは単純に「1秒でも待つ気にならない」からです。
こうした生活が続いているわけですから、私たちの考え方や認知の仕方に影響しないわけがありません。Web以外でも「今すぐ欲しい」「自分が求めているものを欲しい」という願望をもつ場合があります。私たちは一昔に比べると膨大な情報を処理し、それらを分類したり概要をつかみとる能力に優れているでしょう。しかし、文脈を熟考したり、答えを導くためのプロセスを楽しむということが出来なくなってきているかもしれません。
テレビにしても雑誌にしても、Web的な「今すぐ分かる」「これだけしておけば安心」という内容に溢れています。情報のスピードは早くなり、自分が求めているものをすぐに手に入れれるようになりましたが、私たちは従来の意味でいう「読む」という行為が出来ていないと思います。
読むという意味の変化
書籍を読むことは少なくなってきているものの、私の場合「本を読む」という行為が極端に減ってきているわけではありません。最近は移動中にオーディオブックを聴く機会が増えてきています。今は Malcolm Gladwell の「Outliners」を読んでいますが、海外のオーディオブック(特にノンフィクション)だと著者が自ら朗読している場合が多く、独特の雰囲気を読み取ることが出来て楽しいです。
オーディオブックは書籍の「読む」とは全く違う体験ではありますが、「読む」という行為には変わりありません。移動中には最適ですし、作者が朗読するといった音ならではの楽しみ方もあるので、オーディオブックのほうが優れている点もあります。
時間は限られていますし、人々の活動もより多様化してきています。それゆえ、特定の媒体に限定されることなく読むことが出来れば、読書の機会は増えるのではないでしょうか。それがオーディオブックなのかもしれませんし、Kindleのようなデバイスの利用なのかもしれません。印刷された書籍だけでしか読書が出来ないという環境が続けば、これからどんどん「読む人」が少なくなるでしょう。