AIで早くなったのに、なぜ遅いのか
「効率化」や「自動化」といった言葉を漠然と使うのではなく、組織として何を効率化するのかを明確にすることが重要です。
生成AIツールの導入が、デザインや開発の現場で急速に進んでいます。Figma AIによるUI生成や、ChatGPTを使ったドキュメント作成など、個人レベルでの作業効率化を実感している人も多いのではないでしょうか。
GitHubは88%のCopilotユーザーが生産性向上を感じていると報告しています。また、JPMorgan Chaseのエンジニアは10〜20%の生産性向上したという発表をしています。こうした数字を見ると、生成AIが個人の作業を加速させていることが分かります。
しかし、組織レベルで見ると様相は一変します。LeadDevの調査では、617人のエンジニアリングリーダーのうち、大きな生産性向上を報告したのはわずか6%でした。McKinseyの調査では、生成AIを導入した企業の80%近くが、大きな成果を得ていないと報告しています。今年の夏に発表された Harvard Business Review による「State of AI in Business 2025 (PDF)」でも同様に、生成AIによる生産性の向上が見られないと発表しています。
個人の効率化が、なぜ組織の生産性向上に繋がらないのでしょうか?
生産性向上が生む、新しい負荷
最近、「Slop」という言葉を耳にすることが増えました。質が低く、意図のないコンテンツを指す言葉です。生成AIの登場でアウトプットが容易になった一方で、こうしたコンテンツが増えています。こうしたコンテンツは「Slop」または「AI Slop」と呼ばれることが多く、メールでいうスパムに似た使われ方をしています。
SNSなどに出てくるコンテンツだけでなく、仕事でも「Slop」が増えてきています。プロンプトや関連ファイルを活用して生成された内容が、一見すると良い感じに見えても、実際に読むと使えないことがあります。生成物を作った方は「AIを活用して効率化できた」と感じるかもしれませんが、レビュー作業や確認のために多大な時間を浪費する人も出てきています。こうした、AIを活用して仕事をしているように見えて、実際にはそうではない成果物を「Workslop」と呼ぶそうです。

もちろん、生成AIが登場する以前から、ショートカットして質の低い成果物を作る人はいました。
しかし、短いプロンプトで簡単に何かを生成できる手軽さは、これまでなかったと思います。この手軽さによって、組織の中で生成物の確認作業に埋もれてしまう人が増えてきています。個人の効率化と組織の生産性の間には、調整コスト、レビュー負担、認識合わせの時間という見えない溝があるのではないでしょうか。
こうした品質問題への対策として「Human in the Loop(人間参加型)」が重要であると答える人もいます。人間が工程に入って確認すれば大丈夫という考え方です。ただ、スピードと量が評価される文化では、レビューがあっても結果は変わらないのではないでしょうか。パッと見良さそうなら承認する。これは生成AIで成果物をサッと作る場合と同じです。
人間関係の問題が絡むと、「Human in the Loop」どころか、コラボレーション自体が難しくなることがあります。上司の Workslop を指摘した場合、どのような反応が返ってくるのか不安に感じることもあるでしょう。工程が順調に進んでいるにもかかわらず、Workslop 対策を提案すると、雰囲気が悪くなるのではないかと心配する人もいるはずです。
個人レベルの実験で組織の学習を準備する
問題はAIツール自体ではありません。真の課題は「価値を生む使い方」と「見てくれだけの使い方」を区別できないことです。「1時間かかっていたものが15分でできた」という数字は明快ですし、あたかも生産性が向上したかのように見えます。一方「こういう使い方によって組織全体の価値を高まる」は単純な測定や評価が困難です。
組織活用で必要なのは、「どのAIツールを使うか?」ではなく、「私たちは何を達成しようとしているのか?」を明らかにすることではないでしょうか。生産性向上、効率化といった抽象的な表現に留めず下記の解像度を上げる必要があります。
- そもそも「良い」とは何か? : 何を基準に良いとするのか? どの部分が良いと十分なのか? そのあたりの定義が概念で留まるケースがあります。
- 人間は実際にどう関わるのか?: 「確認して」と言われたとき、何を確認するか? デザインの意図を理解するために質問しているか、それとも表面的な見た目だけをチェックして承認しているか?
- 何があると差し戻しなのか?: 即NGになるような基準はあるのか?それとも特定の場合であれば、たとえ全ての基準を満たしていなくても次の工程を進めるのか?
AIから価値を引き出せる組織は、単に「やる気のある人たち」が集まっているだけではありません。何が機能して、何が機能していないかを評価できるようになるためにも、利用パターンと価値を結びつけるフィードバックループが必要です。つまり、どの使い方がどの成果と相関しているかを明らかにすることです。
組織全体でフィードバックループを構築するのは容易ではありません。測定システム、権限構造、組織記憶—これらを整えるには時間もリソースも必要です。しかし、組織が準備できるまで待つ必要はありません。個人レベルでも、同じ原理を小規模に試すことはできます。
私自身、Claude Projectを使ったコミュニケーション分析で、こうした実験を始めています。Instructionを定期的にAIとレビューし、改善ログを記録しています。個人利用のため、そのまま組織に展開できるものではありませんが、生成と改善のフィードバックループを作ることで、そもそも「良い」とは何か?、どの部分を確認すればよいのか?といった暗黙知を、少しずつ明文化する機会になっています。また、「どんな測定が必要か?」「どんな判断基準を共有すべきか?」のヒントを、失敗コストが低い状態で探れるのは価値があると感じています。
AIツールの導入で作業速度は向上しましたが、個人の効率化が組織全体の価値に結びついていないことがあります。AIによって時間が生まれたように見えても、実際には新たな調整コストが増えている可能性があります。「効率化」や「自動化」といった言葉を漠然と使うのではなく、組織として何を効率化するのかを明確にし、そのために必要な学習内容を特定することが重要です。デザインも、生成AIを使って多くのバリエーションを作ることにとどまらず、何を早く作ることで物事が前進するのかを考えることが重要です。決定時に必要な最低限の「良さ」を明らかにすることで、AIとの関係が変わるかもしれません。

