何型人材になるべきかという問いが生み出す罠
「あるべき姿」や「理想像」を追い求めるよりも、目の前の人たちの困りごとに向き合うほうが、ずっと本質的かもしれません。

AIでデザイナーの仕事が変化するなら、もっと専門性を深めるべきでしょうか?それとも幅広いスキルを身につけた方がいいんでしょうか?
ChatGPTやClaudeをはじめとした生成AIツールの登場で、デザイナーのなかには「スペシャリストになるべきか、ジェネラリストになるべきか」と迷っている人がいるかもしれん。一方では「AIに代替されない深い専門性を」という声があり、他方では「AIと協働するには幅広いスキルが必要」という主張も聞かれます。
人材モデルが分かりやすい理由
スペシャリスト、ジェネラリストだけでなく、様々な人材モデルがあります。
「T字型(T-shaped)」という人材モデルを聞いたことがある方はいると思います。一つの分野での深い専門性(縦棒)をもちつつ、複数の分野での幅広い協働能力(横棒)を持つ人材像のことを指します。元々はIDEOなどのデザインコンサルティング企業が、チームでのコラボレーション能力を表す概念として広がりました。深い専門性があることで独自の価値を発揮しつつ、横の幅広さによって他分野の専門家と共通言語で対話し、橋渡し役になれる点が特徴です。
他にも、単一分野での深い専門性を持つ「I字型(I-Shaped)」、T字型の幅広さと深さに加えて、強力なリーダーシップ資質と、協働やイノベーションを推進する「X字型(X-Shaped)」。他にも、二つの分野にそれぞれ深い専門性を持ち、その二本の柱を横断する幅広い理解で支える「π型(π-Shaped)もあります。
これらのモデルは、自分のこれからを考える上で参考になるブループリントのように見えます。特にスタートアップや新興業界では、伝統的なキャリアパスが存在しません。「次に何をすべきか」という不確実性があるだけでなく、自分の市場価値を測る物差しが不足しているので、不安や焦燥感が増すこともあります。
そうしたなか、人材モデルに対する安心感や納得感を抱くポイントは、例えば以下のようなものがあります。
- 曖昧な将来像を具体的な形に置き換えられる
- 進むべき方向や成長の優先度が明確になる
- 曖昧な将来像を具体的な形に置き換えられる
- 同じ型の人と比較・参照しやすい
不確定要素が多い環境では、そもそも「何を身につければいいのか」や「評価軸がどこにあるのか」が曖昧になりやすいです。T字型やπ型のようなモデルは、その曖昧さを図式化し、安心できる枠組みに提供してくれますが、大きな落とし穴が潜んでいます。
「何になるか」思考が生み出す最適化の罠
モデルには優れた点がありますが、「アイデンティティ最適化」として扱うとやっかいです。「T字型人材になりたい」と考えるデザイナーが、UXの周辺知識を学び始めることがあります。例えば、「UXデザイナーとしての成長には、デザインスキルに軸足を置きつつ、行動経済学を学ぶと良いかも」と考えるかもしれません。しかし、こうした「T字型になる」という目標で学習を進めても、周囲の評価が変わることはありません。
「何になるか」に注目しすぎる経験は、多くの人が一度はしたことがあると思います。しかし、T字型スキルの概念を広めたマッキンゼーやIDEOが本当に重視していたのは、「T字型になること」ではありません。重要なのは、複数の専門分野をまたいで問題を解決する能力です。つまり、T字型の形状は結果であり、意図的に目指すものではないわけです。
しかし、モデルが一人歩きすると、形状そのものが目標になってしまいます。人々は「T字型デザイナー」「π字型プロダクトマネージャー」といったアイデンティティを追求し、実際の問題解決から遠ざかってしまうことがあります。
問題解決中心のキャリア思考への転換
「どんな人材になるべきか?」といったアイデンティティを目標にしなたいめにも、発想の転換が必要です。そのヒントになりそうなのが JP Michel が提唱する「Challenge Mindset(チャレンジ・マインドセット)」です。仕事や肩書き(職業)ではなく、「自分が解決したい課題」へ焦点を当てる考え方で、なりたい職業を探すのではなく、「組織や社会に意義のある課題」を起点にキャリアを考えるアプローチです。
2020年春、シンシナティ大学の芸術科学部で行われた研究では、61名の学部生が「世界を変えるなら何を変えたいか?」というテーマでキャリア探索を行いました。多くの学生は専攻とは直接関係のない社会課題に興味を持ち、その結果、より具体的で動機づけられたキャリアの検討と行動につながったことが明らかになりました。

もちろん、組織で働くデザイナーが、いきなり世界を変える課題探しを始める必要はありません。代わりに、今の組織にどのような課題があるのかから考え始めると良いでしょう。
例えば、UXリサーチの結果をプロダクト改善の判断に十分活用できていないという課題があるとします。このとき、「リサーチ能力や伝え方のスキルをもっと高めよう」と考えると、課題がより大きく膨らむ可能性があります。リサーチ結果を活用できない原因を明らかにするために、「なぜ活用できていないのか」と問いかけることが、次に何を学ぶべきかを見極める手がかりになります。
もしかすると、意思決定とリサーチのタイミングが合っていない、意思決定者の間で合意が取れていない、エビデンスがPRDやロードマップの単位に変換されていない、インセンティブの方向性が異なっているなどが考えられます。もし意思決定とリサーチのタイミングが噛み合っていない場合は、自社が採用しているプロジェクトマネジメント手法を深く学ぶことが有効です。そうすることで、適切なタイミングを見つけられるだけでなく、どのような形式のレポートなら組み込みやすいかも検討しやすくなります。
他にも下記のような問いが、次に何をすべきか探し出すヒントになります。
- 「デザインの実装で最も困っているのは何か?」
- 「コミュニケーションのやりとりが上手くいっていないところは?」
- 「チームや組織で意思決定が止まっている箇所はどこか?」
- 「デザイナーの立場だからこそ見える課題は何か?」
重要なのは、これらの問いから出発してスキル開発の方向性を決めることです。問題解決に基づくキャリア開発の研究では、課題から逆算してスキルを選択することで、より効果的で動機的な学習が可能になると言われています。
スキルは課題解決のためにある
ジェネラリスト、スペシャリスト。そして、T字型などの人材モデルは、キャリアやスキル開発を考えるきっかけにはなりますが、目標そのものではありません。大切なのは、今の職場にどのような課題があるのか、何をすれば少しでも前進できるのかという視点です。そういう意味では、ユーザーの立場に共感しながら課題を解決する日々のデザイン業務と、大きくは変わらないかもしれません。
「あるべき姿」や「理想像」を追い求めるよりも、目の前の人たちの困りごとに向き合うほうが、ずっと本質的かもしれません。デザインで培った観察力と共感力は、実はキャリア開発においても非常に強力な武器になるのではないでしょうか。