Curator's Code からみるWeb共有のもつ課題
尊重のためのシステム
Tumblr や Twitter のように、気軽にリブログやポストがしやすいプラットフォームになると、参照元が分からないポストをよく見かけます。お気に入りの画像を Tumblr で見つけても、参照元・作った人が分からないのでクリッピングしないこともあります(又は自分で検索して探すこともあります)。誰でも簡単に情報を共有できるのが Web の魅力ではありますが、参照元が失われることでコミュニケーションの奥行きが失われることがあります。
昨年の震災で明るみになったところがありますが、多くの人は参照元を調べませんし、自分のタイムラインに現れた情報をそのまま受け入れて、再度拡散することがあります。表層的な情報だけが広まるだけで、突っ込んだ情報や議論が見え難くなる場合もあります。何を参照したのか、何を基に情報発信しているのかが分かるだけでも、情報の接し方が変わるのではないでしょうか。
こうした考えを基にして生まれたのが Curator’s Code というサイト。何を参照しているのかを明確にするための運動です。Curator’s Code には以下の 2 つのサインがあります。
- ᔥ “via”, 経由を意味するサイン。他のサイトで見つけたコンテンツを自分で投稿する際に使用
- ↬ “Hat Tip”, 相手に尊敬、感謝、承認、認識を表わすサイン。自分のコンテンツを作る際のインスピレーションがあった際に使用
Curator’s Code のサイトにも書かれていることですが、提案している 2 つのサインをルールに基づいて使おうと言っているわけでもないですし、使用しなければマナー違反であると言っているわけでもありません。今のように、参照元が分からない状態をどうしたらいいのか、コンテンツクリエーターや発見した人々に対してどのように敬意を表したら良いのかという問題に対するひとつの提案に過ぎません。
Curator’s Code の提案から、さらに良い方法が見つかるかもしれませんし、Pinterest や Tumblr ような手軽にクリッピングが出来るサイトが Curator’s Code を導入することで、情報の捉え方も変わるかもしれません。今のように Unicode を手描きするか Bookmarklet を使わずに、インターフェイスの一部になれば、参照元と自分のコンテンツを明確に切り分けることが出来るでしょうし。
共有とキュレーションの違い
基本姿勢には同意しているわけですが、Web を活用した共有という行為を「キュレーション」という言葉にまとめてしまうのは、勘違いを生みそうな気がします。
学歴や知識もあるプロフェッショナルが、テーマやメッセージを考慮して情報を整備するキュレーションと、「これ良いよね!」という感情面が強く表れる共有という行為。いずれも参照元やインスピレーションになったものがあるかもしれませんが、大きく異なります。自らをキュレーターと呼んでいるのであれば、参照元を明確にするべきではないか、というメッセージが込められているのかもしれませんが、Curator’s Code に書かれている内容は Web で情報共有をしている人全体に投げかけているようにも見えるので、少々あやふやに感じます。
Pinterest のようなクリッピングサービスを使って、自分がどれだけ良いテイストをしているかをアピールしたい人はどんどんすれば良いと思います。お互いの良さを Like し合って楽しめば良いわけですが、それはキュレーションでもなんでもなく Web 黎明期からある「共有」です。実のところ、この昔からある共有という行為に関していえば、参照元を入れるか入れないかは個人の自由だと思います。そこに参照元や敬意を表したところで、キュレーションになるのかといえば、そうではないですし。
しかしながら、今の Web は、昔からある自由な共有だけではありません。人のコンテンツをそのまま流用してマネタイズしている人もいれば、自作のように見せている人もいたります。Readability のようなソリューションが、リブログ/クリッピング系のサービスにも必要なのかもしれません。
Webサイトという枠を超えて、コンテンツが自由に行き来するようになったのは Web のあるべき姿でしょう。しかし、その Web をどう捉えるかは人それぞれです。お互いの立場を尊重しつつ、コンテンツという資産をどう共有し、どのように消費していくと良いのでしょうか。もちろんこれには答えはないでしょうし、ルールや法律にすることでもないでしょう。
まず個人がそれぞれの考えの基で、ちょっとした行動や姿勢を示すことから始めると思っています。Curator’s Code を採用するしない関係なく、ちょっと考えてから情報発信してみることで、周りが変わるかもしれません。結果的に今私たちが抱えている課題への提案が増え、情報発信と共有の選択肢がより増えると思います。