ユーザーデータの先にあるデザインの闇
ようこそ、ブラックミラーへ
ユーザーデータは今のデザインに欠かせない存在です。レコメンデーションや操作の省略など、ユーザー体験の向上に役立っています。また、デザインを提案するときもデータがあるとないとでは説得力が違います。
「ユーザーのため」と耳障りの良い言葉を添えてユーザーデータを集めた先には何があるのでしょうか。それは本当にユーザーのためになっているのでしょうか。Google 社員向けに作られた「The Selfish Ledger」というビデオがユーザーデータを集めた先の世界を描いています。
2016年に作られたこのビデオは Google のプロダクトビジョンを描いたものではなく、Google のデザイナーの教育向けに作られたそうです。このビデオで描かれている世界を目指すべきなのか、それとも別の道や考え方を模索すべきなのか。見る人によって様々な意見が生まれそうです。
ビデオでは全人類のデータを集めることで今までにない体験をユーザーに提供できるとしています。データはユーザーのプロフィールや行動という表層的なところに留めず、DNA にも及んでいます。生まれてくる子供達も、親や親戚のデータに基づいて製品・サービスの提供が可能になります。
今はデータの取得にはユーザーの行動(インプット)が必要ですが、人工知能によって足りないデータが埋めていくというシナリオもあります。体重というユーザーデータをもっていないので、ユーザーの好みの形状になった体重計を紹介して測ってもらう(取得する)ということを人工知能がすることも考えられます。
私たちが自分の意思で行動しているつもりが、Google によって思考・行動が操作されるという、まるで「ブラックミラー」のようなシナリオです。
デザイナーはどう考える?
ビデオ「The Selfish Ledger」を見て「怖い!」というリアクションをする人もいると思います。しかし、これは Google だけの問題ではありません。
2018年4月、Facebook のデータ不正流用問題によって SNS に個人情報を無闇に共有するのはどうかと話題になりました。Facebook から離れるユーザーが続出するのかと思いきや、蓋を開けてみると以前より利用数が増えたそうです。中毒性が高い機能や演出を盛り込んでユーザーデータを集めているので、人がなかなか離脱しないのでしょう。
Facebook をはじめ、以下のような工夫は今のアプリデザインではよくあります。
- 周りから注目されていると感じる演出を加える
- 自動再生や無限スクロールでコンテンツを次々に見せるようにする
- 通知や自動登録を通して、行動を促す
これらの工夫はユーザーエンゲージメントの向上と捉えることができます。実際、満足しているユーザーもいるでしょうし、企業側もユーザーデータを取得できるので品質向上に繋がるはずです。しかし、本当にユーザーのためになっているでしょうか? そもそも「ユーザーのため」とはどういう意味で使われているのでしょうか? 考えなくて済むこと、操作を省くが良いことなのでしょうか?企業が望む行動をさせていても、ユーザーが気づいていなければ「ハッピー」なのでしょうか?そもそもデザインの責任範囲なのでしょうか?
絶対的に正しい答えはないと思いますが、思考訓練のひとつとして興味深い話題です。
参考記事:Google’s Selfish Ledger is an unsettling vision of Silicon Valley social engineering – The Verge