AIとの協働で見落としがちな思考力の変化
AIによる効率のの名の下に進む思考の形骸化が進んでいます。考えているようで代わりに考えてもらっている状態から抜け出すには?

考えているつもりで、考えていない私たち
生成AIツールを本格的に使い始めて2年ほど経ちますが、今でも働き方が変わり続けています。プロトタイプの作成、アイデアの整理、リサーチの分析など、以前に比べて時間短縮ができているだけでなく、模索の幅も広がってきました。
ハーバード大学とボストン・コンサルティング・グループの共同研究結果によると、AI利用者は平均12.2%多くのタスクを完了し、25.1%速く作業を終え、40%高い品質の結果を生み出したそうです。数字だけ見れば、効率的かつ生産的な仕事をしているように見えます。
しかし、脳科学の観点から見ると、別の観点が見えてきます。MITによる研究によると、ChatGPTを使ってエッセイを書いた人たちは、AIを使わず考えて書いた人たちと比べて、脳内のネットワークが約半分しか働いなかったそうです。また、ChatGPT使用者の8割以上が、自分が数分前に書いた文章を思い出すことができないなど、長期的に思考力や学習能力が衰える可能性があることを警告しています。

特に若い世代の思考力に多大な影響が出ているという調査結果もあります。
AI Tools in Society: Impacts on Cognitive Offloading and the Future of Critical Thinking
ブレストやアイデアの壁打ちなど、生成AIを使って一緒に考える方法があります。しかし実際は、私たちが思考しているのではなく、AIが作り出した結果を評価したり、プロンプトで調整しているだけです。つまり、純粋な意味での思考とは言えず、思考しているように錯覚しているだけで、実際には思考をサボっている場合もあるわけです。
思考には、不確実な状況の中で手探りしながら進む苦悩が伴います。どこに向かえばよいかわからない混沌とした状態から、少しずつ方向性を見つけていく。その過程は非常に辛いものですが、そこを経なければ納得のいく結論にたどり着けないことがあります。一方で、AIとの対話は、私たちは評価者の立場にいるだけで、実際に考えているのは生成AIです。(厳密には思考していないですが)。
クリエイティブプロセスにおいて、探索と収束は避けて通れない過程です。アイデアを広げ、可能性を模索し、最終的に一つの解決策に絞り込んでいきます。AIがあるワークフローでも、この流れ自体は変わっていないように見えますが、各段階で行われている認知活動の質は、根本的に変化し始めています。その変化のなかで、デザイナーは文脈と制約を深く理解し、判断力を養う機会を失い始めているかもしれません。
探索では、プロジェクトの背景を深く理解することが欠かせません。また、過去の経験から得た直感も重要です。何をリサーチするか、どの要素をA/Bテストすべきか、どんなバリエーションを提案するかなど、探索に関わるさまざまな活動にはデザイナーの意図が必要になります。そして、その意図がアウトプットに大きな影響を与えます。
特に探索は苦しみが伴います。どう進めばいいかわからない不安、無数の選択肢の中から最適解を見つけ出す困難、制約の中で実現可能なアイデアを探し出す過程。できれば避けて通りたいと思ってしまいますが、この苦しみこそが、デザイナーの判断力と洞察力を育てる貴重な機会でもあります。
生成AIは、この苦しみを取り除いてくれます。しかし同時に、効率性という名のもとに、私たちの思考の筋力が衰えていきます。
判断すらAI任せになってない?
AIとの協働の時代においては、人は「良い問いをすること」「人らしい評価や判断をすること」「適材適所で AI モデルを使い分けること」が重要であると言われています。複数の提案から最適解を選び、生成された内容の品質をチェックし、必要に応じて修正を指示するといった働き方です。しかし、評価や選択の能力は、深い思考の蓄積によって育まれるものだと思います。なぜこのデザインが優れているのか、なぜこのコピーが響くのか、なぜこのユーザーフローが使いやすいのか。こうした判断力は、過去に自分自身で苦労して作り上げた経験と、その過程で培ったインサイトから生まれます。
AIに思考の大部分を委ねることで、判断や観点の基盤が蓄積されなくなります。結果、評価や選択の基準も曖昧になり、「なんとなく良さそう」「AIが言っているから正しいはず」というバイブスに頼った判断が増えていきます。出力結果のハルシーネーションは気にしているにもかかわらず、どのようなプロセスで出力されているのか気にならないのは、自らが問いを立て、仮説を検証する力が失われつつあるからかもしれません。
AIとの対話で感じる「思考しているような感覚」は、実際にはAIが代わりに思考した結果を私たちが受け取っているだけかもしれません。そして、その結果を受け取ることに慣れてしまうと、私たち自身の思考力は確実に衰えていきます。
AI活用は多くの場面で有効ですすし、今更「使わない」という選択肢は考えられません。言葉にできずモヤモヤしている気持ちを整理したり、図や絵に表せず諦めていた人の背中を押してくれます。しかし、その提案を自分たちの文脈に合わせて適切にカスタマイズし、判断する力がなければ、表面的な解決にとどまってしまいます。
MITの研究であった、数分前に書いた内容を引用することすらできなかった現象は、デザインプロセスでも同様に起こりうることです。自分が作ったはずのデザインなのに、その根拠や意図を説明できなくなる日が来るかもしれません。選ぶ力は、作る力と密接に関連しています。作る苦労を知っているからこそ、良いものと悪いものの違い分かるのではないでしょうか。
効率化だけが答えではない
生成AIによって「思考した」「アウトプットした」という感覚を手軽に得られるようになりました。この感覚は新鮮で楽しいですし、ある種の達成感も味わえます。物事がスピーディに進んでいるようにみえますが「これからどうしよう」といった迷いが生まれ、考えるのが面倒になり「これでいいや」と生成結果をコピペするだけになってしまいます。こうした疑似思考感から逃れるためにできることは、少しだけ手間をかけることだと思っています。
要約をあまりAIに任せないようにしたり、あえて紙のノートに書き込むなど、意図的に『手間』をかけるようにしています。実際、この記事も AI との会話がキッカケですが、一度ノートで考えを整理して「自分のもの」にしたあとに書き始めています(最近の記事はそのように書いています)。もちろん、仕事でも似たようなプロセスで考えを整理した後にアウトプットをしています。
これは、確実に時間がかかります。AIを使えば数秒で済むことを、30分くらいかけて行うわけですから、明らかに非効率です。しかし、この「非効率」を選ぶことでようやく自分なりの考えをまとめることができます。手を動かし、迷い、修正し、また考える。こうした過程は、楽で効率的な方向に進みがちなAIとの対話では難しいです(少なくとも今のところは)。
AIは重要な思考パートナーになり得ます。しかし、ふと立ち止まって考えると、「実際に考えているのはAIで、自分はその結果を評価しているだけかもしれない」と感じることもあります。もちろん、深く考えたら良い結果が生まれるのかというと、そんな単純な話ではありません。しかし、デザイナーとして必要な文脈を読み取ったり、制約の中で創造したり、ユーザーの本質的なニーズを見抜くには、思考力が欠かせないと思います。養う方法は様々ですが、生成AIと対話しているだけでは難しいと感じる今日この頃です。