直感を殺した効果測定崇拝は止めよう
宗教になった効果測定
昔、Webデザインは直感・経験・感性のみで作られていました。しかし、低価格・無料のデータ解析ツールが登場したことにより、より多くのサイトがデータ解析をサイトの成果測定に利用するようになりました。従来はページビューという大まかな数でしか価値を測定することが出来なかったわけですが、その場にいる利用者の姿も徐々に見えてくるようになりました。現在はページビューだけでなく滞在時間、訪問頻度、コンバージョンなど様々な要素を効果測定要素として取り上げるようになりましたし、それらを基に改善のプロセスが組まれるようになってきました。
ビジネスを考える上において、直感・経験・感性に行き過ぎていた従来の Web デザインは不十分な存在でした。そこで効果測定を積極的に取り入れようという動きが生まれたわけですが、今度は効果測定が『宗教化』してしまい本質を奪ってしまう場合も出て来ています。
効果測定は魅力的な存在です。なぜなら自分たちが作り上げたサイト・サービスの価値を確固たる数字として分かりやすく提示するからです。分かりやすい数値として表示されるからこそ、同僚・クライアントなど多くの人と共有しやすいですし、次の目標も立てやすいわけです。ちょっとした変更も数字として表れるわけですし、作り手としても楽しいでしょう。しかし、効果測定がビジネス・デザインにおける最重要要素ではありません。
もちろん、データ収集そのものが悪い行為だといっているのではありません。「キーワード2011: Analyze(分析 / 観察)」という記事でデータとデザインは相反するものではなく密接な関係にあると説明したとおり、データ収集は今後のデザインにおいて重要な行為です。
マイクロとマクロのバランス
効果測定は結局のところ現状把握をするためのひとつのツールに過ぎません。
今人々がどのようなものを好み、どのような経路で何を消費しているのかを見るには測定項目は便利な起点です。しかし、ビジネスがこれから作り出したいと考えている価値観や、デザインによって解決したい課題への答えが効果測定のみによって見えることはないでしょう。つまり効果測定はマイクロの視点でサイトの現在を見せてくれるわけですが、マクロの視点でサイトの現在と未来を見せてくれるわけではないのです。
とはいうものの、「データがこう示しているから」「儲かるから」「利用者が気に入ればそれで良い」という効果測定崇拝的発言により本質を失う危険性は常にあります。短期的にはそれで良いのかもしれませんが、将来はそれほど明るいものではないでしょう。効果測定をという名の通信簿の成績を上げるために作り続けることの危険性は常に意識しなければいけません。
効果測定の成績を上げるための手段はいくらでもあります。例えばエンゲージメントにしてもそうです。ソーシャルメディアの利用なのかもしれませんし、ゲームデザインによるものなのかもしれません。顧客のエンゲージメントを獲得する方法は幾つかあります。しかし、方法が幾つかあるからといって本当にしても良いのか疑問が残ります。ビジネスやデザインの決定が効果測定の結果で大きく揺さぶられていたとしたら、一度立ち止まって「我々は何をするべきなのか」を考えなくてはいけません。それがたとえ効果測定という通信簿の成績が下がってもです。
現状を把握したい場合、直感・経験・感性だけでは役に立たないかもしれません。しかし、次のステップへ進んだり何か新しい提案をする際には直感・経験・感性は今まで以上に欠かせない存在になるでしょうし、効果測定により研ぎすまされる可能性もあります。直感と測定を組み合わせることによりビジョンが生まれるのかもしれませんが、直感を殺した効果測定崇拝は現状維持で何も生み出すことはないでしょう。