Palmが教えてくれたプロトタイプの真髄
Palm Pilot は木片から始まった
90年代から00年代にかけて手の平で使える PDA(Personal Digital Assistant)と呼ばれる種類のコンピューターが市場で出回っていました。ノートパソコンよりスペックが劣るものの、予定を管理したり、マルチメディアコンテンツを楽しむことができる『小さなパソコン』。後にスマートフォンやタブレットに吸収されて姿を消してしまいましたが、PDA はスマートフォンの前衛とも呼べる存在でした。
そんな PDA の代表格が Palm。ハンドヘルドコンピューティングという概念を打ち立てたジェフ・ホーキンス氏によって考案されました。90年代初頭といえば、パソコンは机の上に置いてある大きな機械でしたし、ノートパソコンも今より数倍分厚くて重たいものでした。そうしたなか、パソコンよりスペックが劣り、2 台以上パソコンを持つことがまれだった時代に PDA のようなデバイスのニーズは未知数でした。そもそもコンピューターを手軽に持ち運ぶことが便利だと感じる人はごくわずかだった時代です。
そこでホーキンス氏は、木材と紙でできたプロトタイプを作りました。初代 Palm Pilot と同じくらいの大きさの木片に UI 案が印刷された紙を貼り付けて、およそ 1 週間持ち歩いたそうです(参考記事)。実際、持ち運びたいと思うのか。こうしたデバイスがあったら良いと思えるのか。所有することでどのような体験が生まれるのか、プロトタイプを使って検証したそうです。
作り込めば良いわけではない
ホーキンス氏が作った木製のプロトタイプは、プロトタイプとしてあるべき姿と言えるでしょう。液晶部分を開発してから模索することができたでしょうし、別の素材で試すこともできたかもしれません。プロトタイプを作る手段を変えて、完成度を高めることができたでしょう。
しかし、彼は手に収まるデバイスの操作性や必要な機能を模索していたわけではありません。ホーキンス氏が検証したかったのは「そもそも、この製品を持ち運ぶ意味があるのか」という部分。それを検証するのに、液晶画面が動いている必要もなければ、最適な素材を探す必要がなかったわけです。検証したい課題を試すのに、最も安上がりで早くできるものとして紙と木を選んだのだと思います。
ありがちなプロトタイプ失敗パターンで 作り込み過ぎて時間を無駄にする場合があることを指摘しました。もしホーキンス氏が「そもそも必要か」という課題の検証のために数週間も費やしてプロトタイプを作っていたら、全体工程が遅れていたでしょうし、Palm Pilot が大きなインパクトを与えることはなかったかもしれません。
プロトタイプを作る目的を明確にしないまま、画面遷移やアニメーションが付いた『華やかなモック画面』を作り込んでいたら時間を浪費してしまいます。今は様々なプロトタイプツールが、作り込みを促す機能を提供していますが、それによって、いつの間にか学びの手段としてのプロトタイプではなく、デザイン仕様書のような状態に陥る場合があります。
アニメーションをはじめとした演出を検証するためであれば、プロトタイプに盛り込むべきでしょう。しかし、精度を高めることばかり考えて作っていると、プロトタイプが本来するべき役割から次第に遠のいていきます。検証するために、最も安く、最も早く作る方法は何か?どれだけ簡略化しても許されるのかを考えながらプロトタイプ制作に取り組むべきです。ホーキンス氏が作った木製のプロトタイプはその好例と言えるでしょう。
アイデアで分かったつもりでいても、視覚化されていたり、触れることができる状態になってようやく「おや?」「なるほど」という気付きを与えてくれます。もちろん完成品と同等の見た目と動きであればイメージが湧きやすいですが、それではたくさん模索ができないですし、次第に後戻りが難しくなります。プロトタイプをコミュニケーションツールとして使うためにも、対話を促すために必要十分な精度のコントールが必要になります。