AI時代に問い直すべきデザインツール選択基準
今使っているデザインツールが自分の創造性や周りで起こっていることに対してうまく対応できているのかを、あえて問い直す必要があると思います。

乗り換えが難しいデザインツール
開発分野では、プロジェクトの要件に応じて様々な言語やフレームワークを使い分けることがあります。一方、デザイナーは比較的そういったことは少ないです。現在でも Figma がUIデザインという範囲であればほとんどの方が使っているという状態で、一つのツールに固着しやすく、他のツールへの乗り換えが極めて少ないです。たとえ優れたツールが出てきたとしても「わざわざ乗り換えたくない」という気持ちが先立つと思います。
開発であれば、例えばAngularからReactへの乗り換えには確かに学習コストはかかりますが、JavaScriptやプログラミングの基本概念(変数、関数、ループ、条件分岐など)は共通して活用できます。アーキテクチャや設計思想が異なっていたとしても、過去に培ったロジカルな思考プロセスや問題解決のアプローチは新しいフレームワークでも応用できます。なので、完全にゼロからのスタートではなく、既存の知識基盤の上に新しい知識を積み重ねることができます。
デザインツールには「レイヤー」や「スタイル」など、似たような概念が共通して存在しますが、それぞれ微妙にニュアンスが異なり、使い勝手も変わってきます。そのため、ツールを切り替えるたびに、1から覚え直さなければならないことも少なくありません。つまり、現存のスキルや資産を新しいものを使って拡張することが非常に難しいわけです。
Adobe XDからFigmaへ移行する際、インポート機能はあるものの、完全に1対1で読み込めるわけではありません。また、両ツールともコンポーネントを作成できますが、作り方が異なるため、結局は1から覚え直すことになります。同じUIデザインツールでありながら、使い勝手に違いがあるので、学習コストをかけてまで別のツールを使いたいというモチベーションが湧きにくいのが現実です。ある程度理解するまでは「本当にこのツールが自分の職場で活用できるか」といった判断も難しくなります。
混沌に対応できるツールの必要性
開発フレームワークでは、1対1でできることは少ないかもしれないですが、過去の資産や知識を新しいものに活かすことは比較的難しくありません。例えば、npmパッケージを組み合わせて独自のソリューションを構築したり、WebpackやBabelなどの設定をカスタマイズして開発環境を拡張したり、既存のAPIと新しいフレームワークを統合したりすることができます。既存の仕組みを拡張して再利用可能なモジュールを作ることも可能ですが、デザインはそうはいきません。
Adobe XD でつくった要素を、サブコンポーネントとして Figma で利用するとかあり得ないわけです。これはベンダーロックというビジネス視点での理由が含まれていますが、それだけではないと思います。
ひとつ大きな理由として、デザインプロセスというものがそれほど型として決まっているわけではないことが挙げられます。例えばコンポーネントを作る場合でも、人によって作り方のロジックが変わり、連携する開発フレームワークによってネーミングや Variables の持ち方が変わってきます。
1つのボタンというコンポーネントを作るときに様々なアプローチが考えられます。開発の場合、同じ機能を実装する際に、チームやプロジェクトによって書き方が変わることはあっても、フレームワークの制約やベストプラクティスによってある程度パターンが絞られるのとは対照的で、デザインでは作り方のバリエーションがはるかに多く、統一性を保つのが困難です。
デザインツールがさまざまな作り方を許容しているのは、案件やプロジェクトの進め方、関わる人、納期などが多様だからだと思います。プロジェクトによって進め方や手順が変わっても、ボタンやレイアウトがきちんと作れるツールが求められるため、ある程度の自由度が必要になります。また、様々な模索・実験を繰り返す必要もあるため、型通りに作ることができないタイミングもあります。
ただ、その自由度が高まるほど、覚えることも多くなります。機能の使い方を順番通りに覚えれば済む話ではなく、状況に応じて柔軟に作り方を変える必要が出てくるからです。そのため、ツールの使い方を頭ではなく体で覚えるようにしていくことが大切になります。
使いこなせることの自由と束縛
自転車の乗り方やキーボードのタイピングのように、繰り返し練習することで獲得される技能に関する記憶を「運動記憶(Working Memory)」といいます。一度覚えると長期間忘れにくく、意識せずに自動的に行えるようになる特徴です。
Human Working Memory - an overview | ScienceDirect Topics
多くのデザイナーはショートカットを駆使していても、実際にどのキーをどう使ったかは思い出せないことがよくあります。これは、単に操作を覚えたのではなく、体に覚え込ませるまで訓練しているからです。デザインツールを別のものに切り替えるときには、ただ機能の使い方を覚えるだけでなく、再び自分の体に染み込ませる練習や鍛錬が必要になります。そこに大きなハードルがあるのです。
長く使ったツールは、体に自然と馴染むようになっています。その親和性を別のツールで再構築するには、膨大な時間と労力を要します。新しいツールが一見優れて見えても、なかなか一歩を踏み出せないのは、このツールとの関係の再構築という壁が大きく立ちはだかっているからだと思います。
外部環境が転換期になる
それでも時代によってデザインツールは変わってきています。デジタル系のデザインであればPhotoshopが当たり前の時代がありましたが、Sketch へ移り、今ではFigmaが UI デザインやWebデザインでは必須ツールです。これは単に機能が優れているものが次第に支持を得て使われるようになったわけではありません。ツールとの関係を再構築してまで使わなければならない理由があったからだと思います。
2010年代初頭、デザイナーは主にAdobe PhotoshopやIllustratorをUIデザインに活用していました。Photoshopはラスターベースのエディターで、拡張性と柔軟性に課題がありました。一方、Illustratorはベクターベースであるものの、印刷物や複雑なイラスト制作に特化しており、スクリーンデザインには最適とは言えませんでした。スマートフォンの普及により、UIデザインの需要が高まる中、より軽量でUI設計に特化したSketchが市場のニーズに合ったツールだったと言えます。

同様にFigmaも、コロナ禍で出勤が難しくなりリモートで仕事をしなければならなくなった時、もともとオンラインでの同時編集を売りにしていた Figma の利用が一気に増えました。2020年2月から2021年2月にかけて、Figma ファイルは3.5倍に増え、デザイナーと他職種の同僚との間でのファイル共有は140%増加したと言われています。非デザイナーがデザイナーのワークスペースに参加することも増えたことで、デザインワークフローの一部となりました。

Sketch は UI デザインの需要の増加。Figma はコロナ禍から始まったリモート / ハイブリッドワークの広がり。どちらも優れたツールですが、外部環境の変化が「覚え直し」という大きな壁を越えるきっかけになっているように感じます。
また変わり始めているデザインツールだが
こうしたモヤモヤを考えるようになったのは、ここ数年のAIの進化が大きく影響しています。MCPを少し試すだけでも、ワークフローが大きく変わりそうな感覚が持った方はいるはずです。実際、AIを前提に設計されたデザインツールも出てきていますし、ユースケースによっては、Figmaよりスムーズに設計から実装まで進められるツールもあります。この数年の Framer の進化は目まぐるしいものがありますが、注目度は Figma に比べればわずかです。
デザインツールは優秀だからといって必ずしも広まるわけではありません。先述したように、ツールを切り替えるには「体に馴染ませる鍛錬」という高いハードルがあり、優秀さだけではその壁を越えられないのが現実です。その良い例として Penpot があります。

Penpotは、コンポーネントや状態、インタラクションをツール間で保持できる汎用的な「オープンデザインフォーマット」を推進しています。SVG形式を採用しているため互換性が高く、Penpotを使わなくてもさまざまな操作ができるようになっています。技術連携やワークフローの柔軟性という観点からだと Penpot が優れている点はあるものの、広く普及しているとは言えないのが現状です。
Penpotに限らず、便利なツールが登場しても、数年かけて身につけたFigmaでの直感的な操作感や判断スピードを手放すのは大きな決断です。SketchやFigmaが広まったのは外部環境の変化があったからであり、そうした強い後押しがない限り、なかなか新しいツールに踏み出せないのが現実です。もしかすると、その後押しがAIになるのかもしれませんが、技術(手段)だけではない別の何かが必要のような気がしています。
状況を見定める問いをしていこう
ここで伝えたいのは、AIをもっと活用しようとか、新しいツールを試してみようという話ではありません。今、周囲でどのようなことが起こっているのかを見極めること。そして、そうした変化が自分の働き方にどんな影響を与えるかを冷静に考えることが、今まさに必要なタイミングだと感じています。
実際、AIが仕事で利用できる状態になってきたことで、今までのワークフローやデザインプロセスに対して疑いを持ち始めている人も少なくありません(私もそのひとりです)。そうした状況において、今使っているデザインツールが自分の創造性や周りで起こっていることに対してうまく対応できているのかを、あえて問い直す必要があると思います。
その結果、現在使っているツールでもうまくいくと確信に繋がるかもしれません。たとえ他のツールを使うことになっても、なぜその選択が自分にとって、そして周りにとっていいのかを考えて試してみることで、体で覚え直すという大きな壁の敷居を少しでも低くできるかもしれません。