曖昧なバランス感覚が奪うデザインの力
「バランスの取れた解決策」というフレーズの最大の問題点は、その曖昧さにあります。良いバランスとは何でしょうか?

バランスという言葉に潜む危険性
「もう少し調整しましょう」「両方のアプローチのバランスを取りましょう」「全体的なバランスを考えて」といった言葉を耳にすることがあります。プロダクト開発では、ターゲットユーザー、質とスピード、要件の重要度など、さまざまな「バランス」を考慮する必要があります。議論が平行線をたどった結果、「両方のバランスを取った案で進めましょう」という結論に至ることも少なくありません。
一見、合理的で耳障りのよい「バランス」という言葉。しかし、物事を判断する際に、この言葉が曖昧に使われ、かえって危険なケースもあります。ChatGPTをはじめとする生成AIの回答でも「バランス」が頻繁に出てくるため、私自身、少しうんざりしているのかもしれません。そのため、私は極力「バランス」という言葉を避けるか、「何をもってバランスとするのか」を明確にするよう心がけています。
「バランスを取りましょう」という言葉は、誰も傷つけず、全員がある程度満足できるように聞こえるため、心地よく感じられるフレーズです。実際に、バランスが必要な場面もあります。しかし、多くの場合、この言葉は「はっきりとNOと言えない」「誰かを失望させたくない」「何かを諦めたくない」といった感情の表れかもしれません。

ターゲット定義も「バランス」という言葉が使われがちです
デザインの本質は選択です。ある要素を強調すれば、必然的に他の要素は目立たなくなります。シンプルさを追求すれば、豊かな表現を犠牲にすることもあります。早くリリースすれば、細部の完成度は下がるかもしれません。こうしたトレードオフは避けられません。「両方の良いとこ取り」を目指すこと自体が、かえってバランスを崩すこともあります。デザインに限らず、成功しているプロダクトは常に「何を諦めるか」を明確に決断しています。
例えば、LinkedInは創業当初、人材ソリューションに事業を集中させ、徐々にサービスを拡大していきました。複数の可能性がある中で、「もし1つだけで10億ドル規模のビジネスを構築するとしたら、何を選ぶか?」という問いを立て、それに答えることで焦点を定めています。言い換えれば、LinkedInは何かを捨てる決断をしながら前進しています。

「バランスの取れた解決策」というフレーズの最大の問題点は、その曖昧さにあります。良いバランスとは何でしょうか?50:50の比率でしょうか?それとも70:30でしょうか?そもそも、それを測定する方法はあるのでしょうか?
判断は状況によって変わるとしても、どのようにバランスを調整すればよいのかは明確ではありません。あるプロジェクトでデザイナーとプロダクトマネージャーが「ビジネス要件とユーザビリティのバランスを取る」と合意しても、実際の作業では各自が異なる解釈をしていることがああります。
また、バランスを取ることで一見成功したとしても、そこから何を学べるのでしょうか。抽象的な判断のもとで生まれた成果物から得られる学びは多くなく、次のプロジェクトでの再現性が低くなります。明確な指標なしに「バランスを取る」という目標を掲げることは、チームを混乱させるだけでなく、継続的な学習と改善のサイクルも阻害してしまいます。
なぜ決断することが難しいのか
明確な決断とフォーカスを語るのは簡単ですが、実践するのは容易ではありません。デザイナーは判断を下す際、さまざまなチャレンジに直面しており、その迷いや葛藤が「バランス」という言葉として表れることがあります。
アイデンティティの葛藤
多くのデザイナーは、「ユーザーを第一に考える」「優れたデザインは問題を解決する」といった信念を持って取り組んでいます。また、「最低限ここだけは譲れない」という基準を持っていることも少なくありません。しかし、ビジネスや市場動向の現実が優先される場面に直面すると、葛藤が生まれることがあります。こうした状況で、「バランスよくデザインのクオリティを上げましょう」といった言葉が使われることがあるものの、この表現は実際には具体的な行動指針を示していません。
「バランス」という言葉の裏には、譲れない価値観と現実的な制約の間で苦しんでいるというデザイナーの本音が見え隠れています。言い換えれば、「バランス」は答えではなく、解決すべき課題の表れと言えます。効果的なアプローチは、この難しい関係を認めた上で、現在のコンテキストで最も重要なことは何かを明確に定義することです。
測定の難しさ
エンジニアはコードが動作するかどうかですぐに判断できます。マーケターはキャンペーンの効果を数字で測ることができます。しかし、デザインの質はどうでしょうか?
「最低限の」デザインと「優れた」デザインの違いを客観的に測定するのは難しいです。測定が難しいゆえに、「これは正解だ」と断言するより「バランスを取る」と言う方が無難に感じられます。基準が不明確な状況では、極端な選択をすることのリスクが高く感じられ、中間的な立場を取ることで批判を避けようとする心理が働きやすくなります。
対立構造があるという思い込み
デザイナーのなかには、ビジネスニーズとユーザーニーズを対立関係と捉える方がいます。「このビジネス要件を優先すれば、ユーザーニーズを妥協することになる」といった二項対立の思考が、「ユーザーニーズを諦めたくない」という気持ちをより強めてしまいます。この葛藤から逃れるために「バランスを取りましょう」という曖昧な主張に陥ることもあります。
実際には、ビジネスの成功とユーザー体験の向上は多くの場合、長期的には同じ方向を向いています。優れたユーザー体験はリテンション向上やユーザー獲得コスト削減につながり、ビジネス面でもプラスになります。しかし、短期的にはトレードオフが生じることもあります。この場合、「バランス」という言葉で妥協点を探るのではなく、「今回の判断ではビジネス要件を優先するが、その理由は〇〇であり、次のリリースではユーザー体験の向上に注力する」というように、明確かつ時間軸を含めた意思決定をすることが重要です。
それでもバランスという言葉を使うなら
バランスという言葉はかえって混乱を生み出したり、学びの機会を減らす危険性があるとはいえ、「バランスという言葉を使うのは禁止!」と主張するのは現実的ではありません。しかし、「我々が言うバランスとは何か?」という問いを通して意味を掘り下げるコミュニケーションは欠かせません。「具体的に何と何のバランスを取るのでしょうか?」「そのバランスはどのように判断するのでしょうか?」 このような質問をすることで、曖昧さを少しでも減らし、実際に何を議論しているのかを明確にすることができます。会話を通して、関係者の見解や懸念も見えてくることもあります。
こうした、バランスの意味を明らかにすることも大事ですが、人によって「選択することで何かを諦めている」と感じてしまう心理を和らげるコミュニケーションも欠かせません。例えば、今は何を『あえて』優先的に捉えているのか判断の意図を明確にしたり、何かを諦める(捨てる)のではなく、どういう順番で進めると効果的なのかという視点をもつことで、妥協するという心理から解放されるかもしれません。
グロースレバーという考え方
では、あえて優先すべきことは何でしょうか。様々なフレームワークがありますが、グロースレバー(Growth Lever)もひとつの興味深い考え方です。グロースレバーとは、数々のスタートアップの成長を支援した Matt Lerner (マット・ラーナー) さんが提唱したもので、ビジネスの成長を促す特定の要素(レバー)を適切に操作することで、企業は持続的な成長を実現できるとしています。ラーナーさんによれば、複数あるレバーの中から重要なものを選択し、そこに集中することが成長には不可欠だとされています。

書籍「Growth Levers and How to Find Them」
例えば、Airbnbは初期の段階で「リスティングの写真が暗く貧弱で、予約を躊躇させている」という問題を特定しました。そこで、解決策としてホスト向けに無料のプロフェッショナル写真撮影サービスを提供。その結果、テスト市場では予約数と月間収益が2倍に増加しました。これは単なるマーケティング施策ではなく、信頼構築という「レバー」に着目し、的確に対処した成果です。成長期にはさまざまな方針(可能性)が考えられるなか、あえてひとつに集中したことで大きな成功を収めたと言えます。

様々なことができるからといって、たくさんのことを同時に実践すればうまくいくとは限りません。ラーナーさんは「In Depth」というポッドキャストで、多くの創業者が一般的な成長戦略(SEO、広告、SNSなど)を羅列したスライドを持ち込むと指摘しています。しかし彼は、「こうした手法のほとんどは実際には機能しない…たとえ成功したとしても、その効果は限定的」と述べています。

いろいろなことを「バランスよく」実践しても効果が出ないのは事業領域だけでなく、デザインにも同様のことが言えるはずです。デザイナーも複数のアプローチを中途半端に取り入れるよりも、本質的な課題に対する一つの解決策に集中する方が、より大きなインパクトを生み出せることが多いのです。
自分が考えるバランスを明らかにしよう
「バランスを取ろう」という言葉が頭に浮かんだとき、それが決断をあやふやにしていないか問いかけてみてください。ときには勇気が必要かもしれませんが、あえてどちらか一方を最初に「選ぶ」ことで、デザインの意図がより明確になるだけでなく、リリース後の学びも得やすくなります。 自分自身に、次のような問いを投げかけてみるとよいかもしれません。
- 「バランス」という言葉で避けている決断はありますか?
- もしすべてのリソースを一つの方向性に集中させるとしたら、どのような成果が生まれる可能性がありますか?
- チームがより良い決断を下せるようにするために、あなたはどのような会話を始められますか?
2025年3月28日から30日に開催される UX Days Tokyo では、著者のMatt Lerner(マット・ラーナー)さんがカンファレンスのスピーカーを務め、ワークショップのファシリテーションも担当します。この機会に、「バランス判断からどう離脱できるか?」といった問いを投げかけてみてはいかがでしょうか。
