メタデザイナーを育成するデザイン教育
今月末から デジタルハリウッド大学院 でプロトタイピングをテーマにしたコースを受け持つことになりました。1時間くらいの短い講義で話をしたり、ワークショップの経験はありますが、数週間にわたって生徒と交流しながら進めていく授業をするのは始めてになります。少々不安ではありますが、今までの経験を活かして教育の分野に貢献できればと思います。
今、デザインの教育に関わることは非常に意味のあることだと考えています。
先月開催された UX Kanazawa で、成安造形大学でデザインを教えていらっしゃる大草真弓さんが参加されていました。大草さんとの懇親会での会話やメール交換は、私の中で大変刺激になりました。デザインといっても製造・制作の要素が強かった従来の捉え方から、全体を見渡した上での設計という考え方にシフトしはじめており、多くの大学や専門学校で変化が見られ始めています。Web デザインは『製造・制作』の要素が未だに強調されていますが、UX のような言葉が流行したことや、急速なマルチデバイス環境への変化が影響して、業界でも変化は見られはじめています。
教育だけでなく、業界も変わりはじめている。
こういう時期だからこそ、大きな流れになる可能性があると感じています。
情報社会で変わったこと
私たちは、よくテクノロジーが変化したから仕事の仕方を変えなければならない、教育も変わらなければならないと考えがちです。しかし、変化したのはテクノロジーだけではありません。経済構造や文化もテクノロジーと同じくらい激変しています。
人と企業との対話の仕方は、テクノロジーの変化と同じくらい大きく変わりました。20年くらい前のように、目立つ広告や、面白いマーケティングキャンペーンをすれば、製品が売れる、好感度も上がるという時代は終わりました。表層的なデザインだけで誤摩化しても人は騙されないわけです。
随分前に産業社会から情報社会に移行したのかもしれませんが、ここ 10 年で私たちはやっと情報社会を肌で感じれるようになりました。従来のデザイン教育は産業社会における教育と捉えるならば、情報社会におけるデザインとはなにでしょうか? そして、情報社会でデザイン教育は何ができるのかを考える時期がきたのでしょう。
ひとつの大きな違いを挙げるならば、作り手と利用者の境界線が失われつつあるという点です。デザイナーが良いと考えるひとつの完成型を利用者はただ受け入れる必要がなくなりました。今日、利用者もデザイナーであると同時に、彼等も何かを作って配信・配布することができるようになりました。数々の「良い」とされる型が存在しますし、ネットワークを通して知識やノウハウを再利用し、すぐに改善できるようになりました。
従来から存在する『作る』ことを専門とするデザイナーが必要なくなるわけではありませんが、誰でも作れるという時代において、デザイナーの役割はさらに広がるのではないでしょうか。例えば、人々がデザインできる環境を整えたり、数々の視点をまとめて、牽引するファシリテーターのような役割が課せられるはずです。また、人々がつくったデザインを補助する形でデザインするという人も現れるでしょう。
デザイン教育をプロトタイピングする
今回「プロトタイピング」をコースの主題にした最大の理由は、デザイナー以外でもデザインするという情報社会において有効は手段だと考えているからです。コースに参加する生徒のほとんどはデザイナー志望でしょう。彼等がデザインプロセスに人を招き、動かし、牽引できるようになれば、デザインは大きく変わるのではないかと考えています。高望みではありますが、製造・制作だけではない、メタデザイナーの存在を共有できることを目標としています。
当然ながら、プロトタイプを作るということだけに集約してしまうと、制作するだけのデザイナーになってしまうので、作るまでのプロセスや、作ってからの批評など包括的に授業を進める必要があると考えています。うまく授業という枠組みに収めることが出来るように今も模索していますが、失敗含めて、この場で私が学んだことを共有できればと思います。