遊びがないなら未来はない
新しい文明が築かれるとき、そしてそこで生まれた社会で文化の花が咲くとき、必ずといって良いほど『遊び』が原動力となっている。そう考えたのがオランダの歴史家ヨハン・ホイジンガです。第二次世界大戦の真っ只中に彼は「Homo Ludens ホモ・ルーデンス」を執筆。彼の著書で「遊び」というものが何であるかが定義されており、あらゆる社会活動には遊びから生み出されるインスピレーションは欠かすことが出来ないとしています。
英語版 Wikipediaに『ホモ・ルーデンス』で挙げられた遊びの定義が掲載されています。
- 遊びは自由である
- 遊びは日常でもなければリアルともいえない
- 遊びは場所と時間の観点でいう日常と分断されている
- 遊びは秩序を生み出す
- 遊びは物欲や私益と繋がりがない
様々な人間の活動に遊びの要素を組み合わせることによって効果が促進されると、ここ数年注目を浴びていますが、ホイジンガの考え方はその逆といって良いでしょう。様々な事柄に遊びの要素を加えるのではなく、様々な事柄には既に遊びの要素があるとしているわけです。
彼の理論に同意するか否かはさておき、遊びから生まれる楽しいという感情、ヒラメキ、共感といったポジティブなエネルギーは何かしらの形で社会に還元されているのではないでしょうか。誰かが遊びをしているのを見ているだけでも、自分も楽しく感じることはあるわけですし、場の雰囲気が変わることさえあります。ホイジンガは遊びが文化を作り出していると定義していますが、これはさほど飛躍した考えではないと思います。
世の中が暗い雰囲気になっているから自分も一緒に暗くなることはありません。また、良い社会にするにはどうしたら良いのかを真剣に語り合うことだけが正しい方法ではないと思います。ホイジンガの考えを借用するのであれば、まずは遊んでみるのはどうでしょうか。楽しいことをやってみる、イベントに参加するなどいろいろあると思います。別に明確な目的を作ることも必要ないかもしれません。遊ぶことでそれが次第に見えてくる可能性があるわけですから。
遊ぶことを止めてしまうということは、文化の歩みを止めてしまうのと同じなのかもしれません。暗くなりがちで、どうしても周りが気になってしまう時期であっても、萎縮せず楽しむことは忘れないでいたいですね。
【参考記事】
キーワード2011: Fun(楽しむ)
WCANで話したゲームの仕組みと楽しさの関係
ゲームから学ぶ「おもしろさ」と「ハマる」の秘密