過去の束縛から解き放たれたWebの可能性
行き詰まり始めているWeb
私たちは過去の知識や事例をモデルにして未来を考えることが多いと思います。今の電子書籍に関する議論がされるときも、紙の書籍や CD-ROM を使ったマルチメディアなど、過去に作られた形との比較が多くされます。Webビジネスもそうですね。「Web 2.0」は従来の Web の進化型、そのさらに進化したかたちが「Web 3.0」。名前からして過去の形を継承しています。最近も「ソーシャルなんたら」みたいなフレーズは実にたくさんありますが、まったく新しい概念というよりかはブログ、CGM、掲示板など従来からあった様々なコミュニケーションツールが進化したものです。
物事を理解するときに、過去にあったものと比較すると分かりやすい場合があります。また、未来を考えるときも過去に起こったことは大変参考になります。過去は今の私たちの立ち位置の確認になったり、進むべき方向を示すときがあるわけですが、我々は過去にとらわれ過ぎではないかと感じることがあります。Web は人類に与えられたまったく新しい道具のように表現されることがあるものの、活用方法は『過去の実績』にあまりにも捕われ過ぎているような気がします。
それが結果的にツールや技術が変わっているけど根本的には何も変わっていない状態に陥っているのではないかと考えています。
ここ数年の Web マーケティングを振り返ってみましょう。
Mixi, Twitter, Facebook など使うツールは毎年変わりますし、その時を表すキャッチーなバズワードが出てくるものの、やっていることは「低コストで顧客を獲得する」という Web 以前からある従来のマーケティングの考え方を継承しているものが多いです。ツールの使い方や組み合わせ方、そして表現は年々洗練されているでしょう。しかし、過去のマインドセットから抜け出しているものはわずかですし、テクノロジーが変わっているから進化しているとは言えないのではないでしょうか。
マーケティングだけではありません。Webデザインにしても紙デザインや90年代のマルチメディアデザインという『過去』にあまりにも引っ張られるあまりにインタラクションやコミュニケーションの仕方が同じようなところで止まっている場合があります。その間に HTML3 から HTML5 といった具合に技術は進化して表現の幅も広がっていますが根本的なところはどれだけ変わったのでしょうか。
過去のフレームワークから抜け出す
過去に引きずられないで Web らしい何か新しいものを追求するにはどうすればいいのでしょうか? 考える出発点として、サービスやプロダクトの本質(核)を見つめ直すことでヒントを得られる場合があります。
昨年、テクニカルコミュニケーションシンポジウムで講演させてもらう機会をいただいたこともあり、Web ならではの取扱説明書のあり方について考えたことがあります。このときまず考えたのが取扱説明書のそもそもの役割は何かという点でした。従来の取扱説明書の形や今あるテクノロジーで何が出来るかといったことには捕われず、本質を探し求めることで新しい形が見えるのではないかと考えたからです。結果的に私が考える Web ならではの取扱説明書の役割は、マーケティングとカスタマーサービスが融合したようなモデルでした。
他にもWebならではの新聞のあり方について考えたときも、まずは新聞の本質を自分なりに分解することで新しいアイデアを構築していきました。そこで「新聞サイトはサービスプロバイダーになるべきだ」と語ったわけですが、これは従来の新聞の概念とはまったく違います。しかし、それくらい大きな飛躍がなくして進化といえるでしょうか。情報量が増えた、検索機能がアップした、ソーシャルになったというくらいで進化ともいえないでしょうし、過去に捕われれば捕われるほど Web ならではのソリューションの提供が難しくなるでしょうし、思考の幅も狭まってしまいます。
過去を捨てて新しいことを考えようと言っているわけではありません。過去は無視出来ないですし、そこから新しいアイデアが生まれることは当然あるわけです。
しかし、過去の考え方を継承し続け、テクノロジーだけを変え続けているだけの Web には行き詰まりを感じると同時に大きなチャンスを逃しているのではないかと感じることがあります。もちろん、過去のフレームワークに捕われずに動き始めている企業や個人は出て来ています。せっかく Web という新しい道具がわるわけですし、私たちはそれに直に触れて生活・仕事しているわけですから、もっと増えて欲しいなと考えています。
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