優しくいこうよ、どこまでも

ネガティブは伝染する

仕事現場にしても、業界にしても、今足りないのは「優しさ」じゃないかなと感じることがあります。

100% 間違ったことを言っている人はマレです。けど、5%、10% 違うというところを広げて相手を評価してしまうということがあります。自分がもっている物差しで測るしかないものの、サバ読み・軽率な判断になっていないでしょうか。それがネガティブなリアクションになることが多いですし、そのリアクションがさらにネガティブを引き起こすという危うい現象もあります。デザインという小さな分野しか見ていない私ですが、そういう傾向が見られます。

自分と違うことが「分かってもらえない」という対立姿勢になり、余計コミュニケーションがギクシャクすることもあります。少し優しくなれば状況が変わると分かっていても「どうせ無駄」「なぜ自分だけ」と思ってしまって踏み切れない。けど、実は皆そう考えているかもしれません。

「自分だけ」という視点が周りに優しくなれなくなる原因のひとつでしょうし、それが周りにも伝染している可能性があります。

見えにくいところを見ようとする

デザインにある様々な制約

デザインの仕事は様々な解決方法の中から最適解を導き出して作ることと考えがちですが、実際はそんな単純ではありません。技術的制約でやりたいことが出来ない場合もあれば、時間の都合上難しいこともあります。また、プロダクトロードマップやビジネス戦略の都合でやれることが狭まることも少なくありません。実際、デザイナーができる範囲はとても限られていることがあります。

表層的なところだけで良し悪し判断することが難しいのは、こうしたデザイナーに課せられた『見えにくい制約』を考慮していない場合があるからです。私が案件を受けたときに必ず数名とインタビューしているのも、組織のなかにある制約や課題を早期に発見し、適切な評価と提案をするためでもあります。

デザイナーは Empathy(感情移入)すべきだという論調を見かけますが、本当に我々は感情移入できているのかと自分も含めて疑ってしまうことがあります。

  • 表層的な部分だけで判断した不要なツッコミ
  • 自分の(もしくはアカデミックな)定義と違うことへの批判
  • 自分と違うというだけで敵対構図を頭の中で作り出してしまう
  • ユーザー目線や感情移入はデザイナーだけ考えているという思い込み

昔の web は部屋の片隅で愚痴を呟くみたいな使い方も許されたかもしれません。しかし、今は電気や水のような公共資源のような存在に web はなっていますし、ソーシャルメディアなどを通じて情報量や配信経路が変わっています。より多くの人が、様々な形状でコミュニケーションをするわけですから、文脈・前提がまったく違って当然です。故に昔のような「これは愚痴だから察して」は通用しにくいと思います。

「やりにくい」「窮屈」と感じる人もいると思います。そういう方は、趣味・趣向だけでなく、文脈も共有出来ている人たちだけが安心して集まれる『閉じた場』を作ることができます。ただ、開かれた場では相手の視点・立場を少しでも知ろうとする想像力が不可欠ではないかと思います。相手に厳しい評価をしてしまうのも、今まで以上に必要になってきている感情移入が足りていないからかもしれません。

何か言おうとするたびに、文脈を知らない誰かからのツッコミを気にしなければならないって辛いですよね。ポジティブなことよりネガティブなコトのほうが圧倒的に伝染力がある今だからこそ、相手の立場を想像する優しいコミュニケーションが求められていると思います。自分と違うから軽蔑したり、相手が倒れるまで殴るという攻撃的な姿勢をとらず、相手の意図を探るために手を差し伸べくらいの心の余裕をもちたいです。

Yasuhisa Hasegawa

Yasuhisa Hasegawa

Web やアプリのデザインを専門しているデザイナー。現在は組織でより良いデザインができるようプロセスや仕組の改善に力を入れています。ブログやポッドキャストなどのコンテンツ配信や講師業もしています。