UXでは見えてこない側面

ひとつの考え方として UX (User Experience) は今日のデザインでは無視をすることが出来ません。デザイナーだけでなく、今やビジネスシーンでも耳にする「体験」という言葉。しかし、この体験という言葉は非常に曖昧な表現です。体験というのは主観的かつ内面的に感じ取るものであることから、良い体験の定義の仕方も異なる場合があります。ところで「体験」ってなんですか?という記事で紹介したように、体験には「Experience Self」という今この瞬間を経験する自己と「Remembering Self」という記憶を辿る自己があり、どちらの体験を話しているかで話がズレてしまうことがあります。

体験について考える上で、「U(ユーザー)」が必要なのだろうかと疑問に思うことがあります。もちろん、ユーザーを無視してデザインしようと言いたいわけではありませんが、このユーザーという要素が入ることで体験そのものとはズレた議論になりやすいのではないかと懸念しています。利用者にその瞬間、どう体験させたいかというところにフォーカスするあまり、ビジュアルやインタラクションに注目が集まりやすくなってしまうからです。良い体験に繋がるちょっとした後押しのような記事は典型的ですが、こういう見せ方にすると利用者にとって良い体験に繋がるね・・・というテクニックが落としどころになることもあります。

Elements of User Experience の図

JJ Garett が提唱した UX の要素 (PDF)。これは現在の Web デザインにおける UX の基盤となる考え方ですが、これにしても体験そのものを考える部分は弱いような気がしています。確かにサイトの目的やユーザーのニーズは重要です。しかし、それは体験を考えることとは少し違いますし、そこから繋がる構造・骨格・表層はすべて表現の話で体験そのものの話でもないと思います。

よく素晴らしい UX と言われている iPhone ですが、評価されているところがマルチタッチやジェスチャーといったテクノロジーや、美しいUIといった表層的な部分です。UX という観点であればそれで良いのかもしれません。しかしそれを「体験を考えた上でのデザイン」と言い切れるのか疑問です。

先述したように UX はひとつの考え方として重要な役割を果たしています。ただし、それは体験を考える・設計するという意味ではほんの一部でしかないように感じますし、アウトプットのされ方やテクノロジーの話に集約してしまいがちという側面があると思います。

体験を補助すること、見えなくなること

では、体験を考えるって何のこと?という疑問が残るわけですが、ひとつヒントになる記事が以前執筆した機械的に評価をしない私たちだから

体験には「Experience Self」と「Remembering Self」の 2 つがあると先述しました。体験を考えるということは記憶として残る「Remembering Self」へ注目するということになります。私たちは体験をどう振り返っているのか、どう感じ取ったのか、思い出すことで何か感情は生まれるのか、そしてそれを誰かに語りたいのか・・・これは単なる見せ方やテクノロジーでは解決できない、体験への追求に繋がると考えています。

では、「Remembering Self」へ注目することはどういうことなのか?実際それをプロダクトとして形にしているものはあるのでしょうか。

ホームスター

家庭用プラネタリウムホームスターは、ひとつの好例です。スイッチが小さかったり、ピントを合わせるのが難しいなどプロダクトデザインの視点から言えば、いろいろ改善する点はあるかもしれませんが、星との出会いを演出する最高の道具です。いつか山奥で見た大夜景の思い出と重なったり、誰かと星空を見上げたときの思い出がプラネタリウムを見ると重なるときがあります。この製品は単に家庭でもプラネタリウムを体験出来るように様々な技術をつかっただけではなく、この製品を通して自分の中にある星空の体験を呼び戻し、また新たな星空との関係を築くきっかけを作ることに成功していると思います。

iPhone に実装されているテクノロジーが良い体験を提供する直接的な要因にはならないかもしれません。しかしアプリが体験を演出していることがあります。例えば SMS で行った友達とのやりとりが思い出になることがありますし、Instragr.am で撮影した写真が、記憶の中にあるシーンと重なりあって特別な存在になることがあります。

今回出した例では、過去にあった良い体験と今の体験との重なりが自分だけの体験に繋がっていますが、それだけではありません。過去にあったイマイチな体験とのギャップが今をもっと良くさせていることもありますし、過去は気付かなかったことを今発見することの驚きもあるでしょう。

ここまでくると何となく分かってくると思いますが、「Remembering Self」はデザイン / 設計が出来ない領域です。人それぞれが秘めている内なる体験ですから、当然のことかもしれません。アクションに対してのデザインは出来ても体験そのものをデザイン出来ないのはこのためです。「こんな体験をしてもらいたい」とこちらが設計することは出来ません。我々が出来ることは人それぞれがもつ体験に対して何かしらの補助 (Support) をすることだけです。シンプルな感情に対してちょっとした演出をすることくらいです。

過去と現在の密接なる関係と、そこから生まれる『私だけ』の体験

デザインが見えない存在であるべきでしょう。それだけでなく、製品やサービスもいずれは見えない存在になるのではないでしょうか。すべてが見えなくなったとき、残るのはその人の感情や思い出。そんな状態を作り出している製品やサービスは何でしょうか?私たちはモノ・コトに対して感情的な関係をもっているのでしょうか?その関係にはどのような意味をもたらしているでしょうか?そして、体験とは一体何なのでしょうか?・・・ UX だけでは拾いきれない体験に対する様々な疑問が生まれてきます。

デザイン、コード、マルチスキルの世界と私たちで解説したように、テクノロジー抜きでデザインすることはナンセンスな時代になりました。しかし、それはテクノロジー中心に設計しようという意味ではありません。 UX を意識したデザインプロセスで構築をする前に、体験に関わる幾つかの疑問について考えてみる必要はあると感じています。答えもありませんし、きちっとしたノウハウに落とし込めるかどうかも分かりません。しかし、こういった抽象的で正解がないことを考えることが、きっと形作るときに多大な影響を与えると思います。