インタラクションと形状の間にあるデザインの行方
7月26日に開催された PARC forum で、ドン・ノーマンと前田ジョンの対談がありました。そのときの模様が公開されていたので、早速見てみました。「デザインは複雑」と言うノーマン氏と、「シンブルを生み出そう」と考える前田氏。デザインの教育からイノベーションまで「デザインとは?」という深い議題についてディスカッションされました。
今回の対談で気になったのが、両者が考えるデザインの視点が異なることから、会話が噛み合ないときがあるという点でした。前田氏は「フォーム(形状)としてのデザイン」の重要性を説いており、フォームが製品と人を繋ぎ合わせる重要な要素であるとしていました。タイポグラフィ、包丁、椅子など、様々な例を通して、フォームが人々に感情を与えたり、機能的なニーズに応えていると話していました。
一方、ノーマン氏は「インタラクションとしてのデザイン」について話していました。人がどのように製品と触れ合うかによって、問題の解決の形が変わるとし、インタラクションの設計にはデザイナーは従来のデザイン教育より広い視点から学ぶ必要があるのではと話していました。(彼のデザイン教育論についてはこの記事が参考になります)
いずれのデザイン視点も無視できない重要な考え方ですが、両者の立場が異なることから、片方が質問したことに応えられていなかったり、別の話題にして逸らすこともありました。故に、ノーマン氏がテクノロジーによって生じる複雑な状況をデザイナーはどう解決するのかという質問に、フォームが重要であるという的を付いたのか付いていないのか分からない応えが返ってくるというシーンがありました。逆に前田氏の考えるフォームから生じるインタラクションについて、ノーマン氏は飲み込み切れていないようにも見えました。
この対談で感じたのが、デザインする媒体のもつテクノロジーによって評価の仕方が随分変わるのではないかという点。例えばノーマン氏が「テクノロジーによる複雑性」について説いていたものの、テクノロジーが成熟しているものであれば、そこで出来る形状の作り方にもだいたい決まるので『普遍的なデザイン』と呼ばれるものが出てくると思います。
前田氏が対談中に出した車の例にしてもそうで、エンジンをかけて運転するところのテクノロジーは成熟しているので「誰でも運転できるし、普遍的な車の形状もある」という見方ができます。しかし、今の車はデータの表示やスマート機能のために高性能のコンピューターを実装するようになり、テクノロジーが目まぐるしく発展し続けています。故にノーマン氏の言うように「車の運転は複雑だ」という見方になるのではないでしょうか。つまり、車の運転という点ではテクノロジーが大きく変化していないことから『シンプル』ですが、車に入れるソフトウェアや、運転以外での車との関わり方はまだまだ発展途上で『複雑』はわけです。
テクノロジーが成長し続けている間は、ごく一部の人間しか理解できないですし、発展途上の間に実装したテクノロジーは、しばらく後には古びた印象になることがあります。従来の物は、テクノロジーの成熟によってフォームに注力できたところがあるものの、常に激変する社会で、誰でも使えて普遍と感じるものは作れるのでしょうか。今も変わり続けるテクノロジーと関わる製品だと、それは難しいかもしれません。
これは絶望的な話ではなく、デザイナーの役割がより重要になるということではないでしょうか。
一部の人しか理解できないテクノロジーを、より多くの人に認めてもらうために模索し続けなければならないと思います。タッチインターフェイスは20年以上前からあったテクノロジーですが、多くの人が「使える」と感じたのは iPhone のようなスマートフォンです。タッチはまだまだ発展途上のテクノロジーではあるものの、デザインが一部の『分かる人たち』以外に広げた要因であることは間違いありません。
模索を続ける・・・ということは、スケッチし続けることなのかもしれないですし、閉じこもらないことだと思います。前田氏が「リスクを負う」という話をしていましたが、模索するための考え方として必須だなと思いました。
巨匠とも呼べる2人が、何時間あっても足りないようなスケールの大きな議論をしたせいもあり、噛み合ないシーンが多々ありました。しかし、そんな対話の中にも学べるところがありましたし、デザインの議論をする上で何に気をつけなければならないかの参考にもなりました。1時間以上の動画ですが、興味がある方はぜひ。