私が LOST を愛した理由
LOSTを取り巻く神話
LOSTがおもしろい理由のひとつとして数多く存在する象徴的表現にあると思います。John Locke や Rousseau など有名な哲学者や科学者の名前を引用したものや、キリスト教、仏教、ヒンドゥー教をはじめとした宗教観や、ギリシア・エジプト神話の神々の物語をそのまま描写しているものなど、単なるストーリーとしてではなく、象徴的なメッセージが隠されている点が興味深いです。
Sawyer (ソーヤー) というキャラクターは番組中、様々な本を読んでいますが、その本がストーリーとシンクしていたり、今後の展開へのヒントになっていることもあります。数々の文学作品がこのような形で番組に登場することから Lost Books という本の紹介と購入が出来るサイトまで登場しているくらいです。このように、番組に登場するキャラクターはそれぞれ自由意志で行動をしたり言葉を発しているものの、どこか象徴的なメッセージを反映しながら時を過ごしているかのようにみえます。
また、番組内に点在するエジプトの象形文字はすべて解読可能だったり、ひとつのテーマにもなっている番号も何気のないシーンでふと見かけたりします。ストーリーには直接関係ないものもありますが、こうしたちょっとした仕掛けが番組をおもしろくしています。
様々な謎とメッセージが雨霰のように降り注ぐのものの、なかなか答えが示されないことにストレスを感じる方は少なくないでしょうし、見るのを諦める方もいると思います。シリーズが終わった今でも答えが出ていないものは幾つかあります。しかし、答えを示されることが本当に良いことなのしょうか。謎は分からないからこそ謎として残るわけです。謎は謎であり、それに対してイマジネーションを膨らませる愉しみがあります。私たちの毎日の生活でも LOST のような大げさなものはないですが、不明確なものはたくさんあります。完全に理解しているわけではないですが、普通のように捉えていることもあります。謎を踏まえた上で何を見出すことが出来るのか、何を信じてアクションを起こすのか、そこが重要だと思います。
すべては視点で理解が変わる
島を中心とした神話や謎を調べたり、話し合ったりするのは LOST のひとつの楽しみ方ですが、この番組の中心は島ではなく人だと思います。シーズン1から変わらないですが、アクション/スリラーのような雰囲気がするものの、島を取り巻く人々の描写が丁寧に描かれている部分が LOST の魅力といえるでしょう。
ひとつ興味深い点として、この番組は善と悪という明確な切り分けがされていない部分にあります。例えば、生存者たちをみてもそうでしょう。最初は悪そうな人間に見えていたキャラクターもフラッシュバックを通じて実はそうでもないということが分かるときがありますし、その逆もあります。シーズンが進むにつれて『悪玉』のような人や集団が現れてくるものの、彼等をそうはっきりと定義することは出来ません。善のほうに付いているようにみえるメインキャラクターにしてもそうです。彼らは全員何か欠点があり見失っているところがあります。主人公のジャックもシーズンが進むにつれてシーズン1の最初のようなヒーロー像が崩れ去って行きます。
LOST のひとつのテーマとして、こうした善/悪というものは人や社会が作り出したラベルに過ぎず、視点を変えることによりそのラベルがあやふやなものになるということを示しています。西洋的(キリスト教的)なストーリーでよくある、善と悪の戦いの末、絶対的な力をもつ善が悪を打ち砕くといった構成はそこにはなく、むしろその根底を覆すようなシンボルやストーリー構成を度々見ることが出来ます。絶対的なルールや固定概念を消し去り、キャラクターの「人間味」だけが残るとしたら、視聴者はキャラクター達を解釈をするのか。キャラクター同士との繋がり、そしてキャラクターと私たち視聴者の繋がりを考えさせてくれますし、LOST のコアになる部分はそこにあるといえるでしょう。
番組の外で派生した新たな世界
LOSTが始まった 2004 年といえば欧米ではブログ / Wiki のような情報発信 / 共有ツールによるコミュニケーションが定着した時期です。謎が毎週のように増え続ける LOST ですが、そのあとに視聴者同士による熱心なディスカッションがあちこちで行われていたのもこの番組の魅力。数々のファンサイトだけでなく、Lostpedia のような視聴者が作った百科事典や LOST Forum のような掲示板サイトまで、視聴者が集まる場所も自然発生していきました。そこで視聴者は様々な疑問や発見を共有しつつ、別の世界観を作り出したといえるでしょう。
インターネットという番組とは違う場所で、別の LOST の楽しみ方をしはじめた視聴者に対し、様々な仕掛けを提供したのもこの番組のおもしろさでした。
印象的なのは、シリーズで重要な鍵を握る科学研究機関「Dharma Initiative (ダーマ・イニシアティブ)」の存在。今はほとんどのサイトが閉鎖されていますが、人材募集サイト、研究員専用サイトがありました。また、研究機関のビデオも幾つかあり、YouTube で見ることが出来ます。番組内で見れるのもありますが、幾つかはインターネットでしか見れない内容もありました。
他にも番組に登場する架空の団体について独自の調査を行う女性「Rachel Blake」が幾つかのビデオを YouTube に公開したり、太平洋上に消えた Oceanic 815 を探しに旅に出た「Sam Thomas」のドキュメンタリーがあるなど、本編のストーリーとは関係はないですが、世界観を広げる仕掛けが幾つかありました。こうしたインターネットを利用して世界観を作り出す手法は早い時期だと 2001 年の映画『A.I.』が有名ですし、最近では『ダークナイト』が架空のニュース番組を幾つか公開したことで知られています。
こうした世界観をさらに広げる仕掛けがインターネット上での会話をさらに活発なものにしたのではないでしょうか。
難解だから生まれた LOST という名のメディア
視聴者が活発なコミュニケーションを行っているということは先に書きましたが、こうしたコミュニケーションや世界観を深めるための様々な仕掛けが、視聴者により賢く番組を見るキッカケを与えてくれます。友達と家族と見ていただけでは、あるシンボルがエジプト神話と関係していることは気付かないでしょう。シーンに一瞬だけ登場する番号が他にも幾つか出て来ていることも気付かないかもしれません。ひとりでは気付かなかったことも、ネットを通じて『キヅキ』に繋がり、『シッテイル』という感動にもなります。
毎週番組が始まってから次の番組まで、様々な情報が公式・非公式で行き交います。番組終了後、公式サイトと架空のサイトが更新され、その数日後にはポッドキャストも配信されます。それを追いかけるように、Lostpedia のような情報収集サイト、個人ブログ、フォーラム、ファンのポッドキャストが次々に情報発信されます。時には写真やアートのような思いがけない文化として派生することもあります。こうした、公式・非公式が相乗効果のように刺激し合うサイクルがあるのが DVD による一気見では味わえない LOST のもつリアルタイム性だっといえるでしょう。
この番組は TV だけでなく、画像、ビデオ、音声、Webサイトを利用した『マルチメディア/クロスメディア』な番組と表現する方はいるでしょう。しかし、公式・非公式によって作られた世界観や派生している新たなクリエイティビティ、そして毎週のように情報が行き来していた謎に対する仮説や理論に注目するとマルチメディアというより『メタメディア』な番組だったといえると思います。
実は LOST はシーズン3あたりから視聴率が落ちていた番組です。シリーズ最終回も1350万人が見たと言われており、シーズン6では最高視聴率でしたが、他の話題番組の最終回に比べると半分以下にも及ばない小さな数字でした。もし視聴率だけ注目したのであれば、LOST は人気番組だったといえなかったでしょう(最近 Hulu や iTunes などを利用してオンデマンドで見れるので TV 視聴率の意味も変わっているでしょうけど)。それでも番組がキャンセルにならなかったのは、ファンが作り出した世界観・コミュニティ・文化が、視聴率では計ることが出来ない価値であると感じたからなのかもしれません。
ずっと追いかけていた物語に終焉が訪れたという安心感と同時に、ひとつの愉しみがなくなってしまったという残念な気持ちがあります。またこうした手法の番組は登場してくるでしょうし、中には成功するのもあるでしょう。ただひとつ言えるのは LOST は今の時代に合わせて作られた大きな世界であり、ひとつのジャンルを作り上げたという意味で歴史に残る TV シリーズだったと思います。