デジタルプロダクトデザインと創作の間にある深い溝

時間やコストをかけることで生まれる創作活動や質への取り組みは、「最適化しながら迅速に動く」環境との相性が必ずしも良いとは言えません。

デジタルプロダクトデザインと創作の間にある深い溝
ℹ️
本記事は、過去数年間で様々な現場で活動する国内外のデジタルプロダクトデザイナーとの対話を基に、筆者の考えをまとめたものです。

早さによって失われたもの

IT業界ではかつて「Move fast and break things(素早く行動し破壊せよ)」がモットーのような位置付けでしたが、最近では人々の心理や行動への影響、倫理性への問題提起が高まり、過剰な模索や無謀な行動が減少しました。それでも、最適化しながら迅速に動く(壊れるリスクを伴いながらも)という姿勢は、現在も根強く残っています。

デジタルプロダクトデザインの魅力は、リリースが終着点ではなくスタート地点であることです。ユーザーの行動やフィードバックを参考にしながら改善を続けるだけでなく、すぐに改善したプロダクトをユーザーに使ってもらうことができます。最初から完璧を目指す必要はなく、少しずつユーザーが求めるかたちを作り上げることができるため、他のデザイン分野にはない強みがあります。

デジタルプロダクトデザインに携わるデザイナーとしての楽しみは、作り手とユーザーの間の距離の短さ、データによる可視化、定性・定量調査に基づいた改善を短期間で実施できることです。しかし、他のデザイン分野にはある「創作」への時間が取りにくいという課題があります。

例えば特定のユースケースに対して「どういう操作体験が最高かつ最適だろうか」と考え、ときには新しいインタラクションを提案する機会がどれくらいあるでしょう。最新の技術仕様や API を調査し、「こういうの面白いかも?」といった実験をする時間がとれているでしょうか。

手元にある UI ライブラリのなかから無難な組み合わせを選び、スピードと最低限品質を保証できる交渉を行い、素早く開発・リリースすることが多いです。つまり、素早くデザインできる最適化の仕事になりがちです。

デザイナーとしては、1ピクセルや0.1秒などの細かな部分にこだわりたい気持ちはあっても、それがガイドラインにない、開発コストがかかる、またはKPIに影響を与えないなどの理由から、優先順位が低くなってしまうことがあります。

大きなIT組織で働くデザイナーの限界

デザイナーの創作活動を、ユーザー価値創造に紐づけて語ることができます。プロトタイプを使ったテストを通して、ユーザーの行動や感情に変化が生まれた場合、コストがかかっても「やってみよう」と前進することがあります。

特にPMF(プロダクトマーケットフィット)前の段階では、ユーザー価値の創造がなければプロダクトが存続することはあり得ません。そのため、価値につながる機能と利用体験の開発が最優先で進められます。

ただし、こうした状況は時とともに変化していきます。PMFが証明され、事業が拡大するにつれて、価値の創造よりも価値の抽出の優先順位が上昇していきます。ユーザーにプロダクトの価値を提供するのではなく、ユーザーが持っている価値(お金や個人情報など)を抽出することを指します。

最近、PayPayの他社のクレジットカードの利用停止を発表し、話題になりました。これは、価値の創造から価値の抽出に優先順位が変わったことを示すひとつの例です。

財務パフォーマンス指標、例えば売上や収益成長は、価値創造を判断するための指標とは言い切れません。価値創造をした結果、収益につながっているという論調はつくれたとしても、収益に直接関連する価値抽出の施策のほうが、優先順位が高くなりがちです。

もちろん事業継続には売上が不可欠であり、価値創造と価値抽出のバランスを維持することが重要です。ただし、言うのは簡単であっても、従業員のキャリアインセンティブや評価が財務パフォーマンスに密接に関連している場合、バランスを保つのは難しいかもしれません。

価値抽出が優先され、評価される環境では、リスクを避けがちになります。デザインにおいても同様で、「新しい価値を創造する試み」よりも「競合が成功している手法を採用する」ようなアイデアが通りやすくなる傾向があります。

ステークホルダーが「デザインの価値を上げたい」や「良いデザインが欲しい」と要望することがありますが、その背後には「リスクがない、無難だけど少し個性がある外観にしたい」という意図が含まれていることが少なくありません。もちろん、そう考える人ばかりではありませんが、価値抽出を優先する施策を扱う場合よく見られる傾向です。

効率化, 標準化への偏り

今は、価値を抽出できる施策を迅速にかたちにできるデザイナーやデザインチームが求められています。デザインシステムはこうした文脈において非常に都合の良い存在だったと思います。デザインの標準化を通じて効率化が図れるデザインシステムの長所は、価値を摘出を優先する人々にもメリットが感じられます。

デザインシステムは最低限の品質保証と効率化を提供しますが、品質向上の手段とは必ずしも言えません。成果(価値抽出など)を迅速に求められる状況で力を発揮する一方で、ユーザーへの価値創造を真剣に向き合うと、既存パターンの組み合わせだけでは不十分な場合もあるでしょう。

デザインの質には、安定性や効率性のように測定や体系化可能な要素がある一方で、創作活動から生まれるアート的な要素も含まれています。創作から導き出される質は明確に測定できないですし、時にリスクを伴うこともあります。時間やコストをかけることで生まれる創作活動や質への取り組みは、「最適化しながら迅速に動く」環境との相性が必ずしも良いとは言えません。

効率化, 標準化へのアプローチが増え、デザインシステムなどのコンポーネントライブラリに依存するようになったことにより、UI デザインの探求、情報アーキテクチャなど本質へ取り組む機会が減ってきています。また、エンゲージメントなどの指標達成のためのデザインが本当に人のために良いのかといった問いかけや議論が、現場でどれほど実施されているのでしょうか。

デジタルプロダクトデザイナーはどこへいく?

大きめの IT 組織で働くと、業界、日本、あるいは世界が動くような体験ができ、そのプロセスに関わることで達成感も得られます。そこでしかできないこと、何年も携わっていないとできないことはたくさんあります。

迅速さや最適化が求められること自体は悪くないですが、デザイナーのアイデンティティの一部である創作を発揮する機会が減少する側面もあります。創作はコストがかかる上、挑戦的なものほど関与する人が増えて複雑化しがちです。

現代のプロダクト開発において創作活動が無理(別物として扱う)と片付けることもできますが、それでもデザイナーとして実践できることはいくつかあります。

  • 迅速に最適化するという「プロダクトデザインの面白さ」をさらに追求していく
  • 価値創造による体験の向上を測定できる指標を設定し、それをプロダクトの評価基準の一部になるよう推進する
  • デザインチームで存在意義や求められているアウトカムを再考したうえで、どういう活動が可能かプロダクトマネージャーやエンジニアに相談する
  • 組織で創作活動が評価されるような仕組みやインセンティブを用意できるか検討する
  • 仕事の責任範囲を明らかにした上で、外部パートナーとして価値創造の支援をしていく
  • PMF を模索する組織へ異動し、ユーザーへの価値創造にコミットする
  • 自分が追い求める価値創造ができる環境を自分でつくる(起業など)
  • 従来の財務パフォーマンス指標を超越し、デザインという創作活動への投資できる経営層がいる企業を選ぶか、自分自身が経営層の一員になる
  • 個人活動で発散する

私はAIがプロダクトデザインに取り入れられることには肯定的ですし、さらに活用できるようになってほしいと願っています。リスクが低い無難なデザインや最適化作業を AI に任せることで、挑戦的な問題解決やものづくりに時間を割くことができると期待しているからです。そのときには、この記事に書かれているようなモヤモヤ感は消え去っていると思います。

およそ 10年前、先進的かつシンプルなタスク管理アプリとして話題だった「Clear」が、久しぶりに新バージョンを開発しています。まだ途中段階みたいですが、他では見かけない面白いインタラクションのデモを公開しています。

今このタイミングで、新しい試みをしている Clear が新鮮に映ると同時に、デザイナーの原動力である創作活動へのエネルギーが感じられます。良い面も悪い面もあるとはいえ、こうしたデザインは数値ドリブンの環境では生まれにくい気がしています。

価値創造にコミットしても、人が自然と集まり事業が成功するという都合の良い展開は稀です。価値の抽出がなければ事業を前進させられない一方で、デザイナーをはじめとしたモノを作る人たちが創作活動を行えなくなると、チームは徐々に弱体化し、デザイナーのモチベーションも低下します。私には明確な答えはありませんし、他の方の意見も伺いたいですが、「このままで良いのか?」と時折問いかけることは、今後の成長のためにも良い思考トレーニングになると考えています。

UXの夢は覚めたが失望はしていない
業界で語られる理想と現実にはまだまだ大きなギャップがあると思います。見て見ぬふりをしていたギャップを語ることで、次に何をすべきか分かることもあります。
Yasuhisa Hasegawa

Yasuhisa Hasegawa

Web やアプリのデザインを専門しているデザイナー。現在は組織でより良いデザインができるようプロセスや仕組の改善に力を入れています。ブログやポッドキャストなどのコンテンツ配信や講師業もしています。